Asia Arowana
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シルバーアロワナを偲ぶ
シルバーアロワナのアーちゃんは、アジアアロワナのハナの水槽の向かいにずっと居たんだ。とても人懐っこい美魚だったのに、不注意で死なせてしまった。ごめんね、アーちゃん。忘れないよ。
シルバーアロワナが来た!
鰓めくれ
お引越し
成魚の頃
事故!
さよなら・・・
シルバーアロワナが来た! (1994年8月19日)
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小型インテリア水槽から始まった熱帯魚。ネオンテトラを飼い始めてわずか3ヶ月後、シルバーアロワナの「これぞ古代魚」という風貌に惚れて、何軒もの熱帯魚店を巡り、ついに好みの若魚に出会う。20cm弱の、それはきれいなシルバーアロワナだった。
PSBステーションと比べて、大きさが分かるでしょうか。まだ水槽が大きく感じられたので、水草や流木も入れていました。最初の餌は、メダカ、小赤、クリルなど。
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鰓めくれ (1995年4月)
- 体長が40cmを越えたころ、水槽が狭いためのストレスか、水質が悪いのか、鰓めくれになってしまった!
試薬で検査をすると、亜硝酸塩濃度に問題はないが、硝酸塩濃度が高い。少量ずつこまめに水換えをし、硝酸塩吸着剤や麦飯石溶液を使い、水質改善につとめる。ストレス解消のため、毎日遊んでやる(アロワナ飼ってる人なら分かるかな?)。
- 3週間後、無事に完治。
そういえば、ちょうどこの頃、アピストの繁殖に気をとられてメンテナンスをサボりがちであった。反省、反省。
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お引越し (1995年6月)
一山越えた隣県へ引っ越すことに。引越し先に120cm水槽を設置、現在の飼育水をポリ容器で40リットルずつ、日をあけて2回運ぶ。
本当は120cmじゃ小さいんだけど、仮住まいのためそれ以上のものは置けなかった。
水が出来たころ、大きなビニール袋、酸素缶、発泡スチロール箱などを用意。
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【箱入り魚の図】 (6月25日) 透明ビニール袋を水槽に沈め、アロワナを追い込む。暴れず騒がず、素直に入ってくれた。
酸素を詰め、口を縛り、新聞紙に包んでトロ箱へ入れる。夏だったので特に保温はしなかった。
(大型魚用の丈夫なビニール袋、発泡スチロール箱は、なじみの熱帯魚店でもらった)
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【新しい水槽で水合わせ中の図】
自動車で1時間30分、峠越え。かなり揺れたためか酸素不足か、到着時には、やや疲れた様子。
水合わせをして新しい水槽へ。元気に泳ぎ、一安心。このころ体長約45cm。
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成魚の頃
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なんでもよく食う良い子である。 人工飼料「アロワナフード」も抵抗なく食べてくれた。捕食がヘタで、金魚や活エビは、狙っては逃すことがよくあった。
餌のレパートリー(好きな順)
1.コオロギ
2.活エビ
3.金魚
4.冷凍エビ
5.冷凍ピンクマウス
6.アロワナフード
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◇シルバーの宿命か、片目が下がってしまった。下がっていない方の顔は、幼く感じる。
- ◇力が強い!
- とにかくパワーがある。よくジャンプし、蓋にガンガンぶつかる。上に乗っている長い蛍光灯まで跳ね上げる力強さである。
◇ちゃんと人を判別する。
- 私の顔はもちろん分かっている。家に帰ると喜んでしなやかな体をくねらせる。しばらく相手にしないと、すねて向こうを向いていることも。
水換えのときなど、手に擦り寄ってきてジャマをする。
- 家人の顔も分かっているが、特に反応はしない。
- 知らない人が入ってきて水槽に近づくと、あばれる。
- 驚いたのは、引越し後初めて実家の両親が訪ねてきたときのこと。明らかに喜んで体をくねくねさせている! 私の留守中、何度も餌をやりに通っていた人の顔を覚えていたようだ。
水槽の側へ行くと、大きな眼をキョロリと動かして、こちらを見る。表情すらあるように感じる。大型魚っておもしろい!
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事故! (1996年10月)
- ある日、急に何も食べなくなった。
- いろいろ調べてみると、電子水温計のセンサー部分のキスゴムがない。ちゃんとガラス面にくっついていたのに、自分で咥えてはずし、飲み込んだらしい。それ以外に思い当たる原因はなかった。
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食べられない!
- 自然に排出されないか、と祈る日々。何も食べられないまま1ヶ月が過ぎた。食べられないこと以外は何もおかしい所はない。水面直下を正しい姿勢でちゃんと泳いでいる。
- 当初は餌を口には入れるが、飲み込めず吐き出していた。だんだん、口に入れようともしなくなる。希望が消えていく。
- 飲み込み事故から1ヶ月ほど経ったある日、消化されそこなったゴムのようなものが沈んでいた。1週間かかって少量ずつ吐き出した。「出た! これで良くなる!」と喜んだが、相変わらず餌を受け付けない。動きが鈍くなってきた。
- 「安楽死」が何度も頭をよぎる。でも、でも、外見はどこも悪くない、もしかしたら、明日には…! あきらめきれなかった。
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迷う日々
- 食べられない日が続く。もう駄目だ、こんどこそ安楽死させよう、と決心した頃、餌に反応する(入れた餌のところへ寄る)、また希望を持つ、の繰り返し。
- 今日は食べるか、明日こそは食べてくれるか、と祈るばかりの日々。相変わらず外見に変化はない。腹はぺちゃんこだが、体そのものはやせ衰えるでもなく、泳ぎ方も健康なときのままだった。
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さよなら・・・
安楽死の決心
- ある日を境に、急激に弱ってきた。うろこの縁が溶け出しているかのように見える。弱り始めて3日目、もう見ていられない。今度こそ安楽死させる決心をする。
- 私は、この日から2晩、仕事で帰れなかった。2日後に帰るときには麻酔薬を購入する手はずをし、家を出る。
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アーちゃん、ごめんね。
- 2日目の夜、仕事場に電話が。「死んだよ」
- まるで私に手を下させまいとしたかのように、あと1日を待たずに逝ってしまった。
- 絶食なんと4ヶ月。なまじ体力があるばかりに苦しみを長引かせてしまった。やりきれない思い。
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- 1997年2月22日、他界。
大阪の海遊館で買ったシルバーアロワナの額。
仏壇がわりに飾って、在りし日を偲んでいる。
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